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あーやってしまった。
調子にのった。 昨日寝れないからって徹夜でパソコン作業してしまった。 今日死にました。 今日ははるかとかなこと面接会行くはずだったのにな↓ そういえば、高校野球が終わったんですか? なんかじゅんが熱っぽく感想を述べてました。 「あのねー、残念だったけどねー、よく頑張ったと思うし、感動した!」 なぜ彼は高校野球で感動を得ることができたんだろう。 わたしは彼は人の立場にたってものを考えることが難しいのだと思ってきた。 「それができないから障害なんだ」と周りも言ってきた。 できてないのか? 違うのかもしれない。 もしかしたら、じゅんが理解できないのは、他人の悲しい気持ちを悲しいと思う心かもしれない。 わたしが今までじゅんに言ってきたことは、お門違いだったかもしれない。 高校野球は感動できる。 24時間テレビなどにも彼は感動している。 感動できるのは、自分自身が、例えば学校祭などでみんなで努力したことが報われる感動を知っているからではないだろうか。 だったら悲しい気持ちを悲しいと思う心はどうだろう。 自分が辛いとき、悲しいとき、周りは一緒に悲しんでくれたか? これが原因かもしれない。 普通学校での障害児は多かれ少なかれ嘲笑の的となるし、高等養護に行ったから周りは悲しいとき一緒に悲しんでくれるわけではない。 なぜか? 周りの子達も嘲笑されてきたからではないか? 彼らの悲しみをわかってくれるのは家族か教師だけだったのでは? だとすると、彼が悲しい気持ちを悲しいと思う心が理解できないのは、彼の障害のせいとは言い切れないのかもしれない。 障害のせいと言い切れないということは、その心は育つことができるんじゃないかと思われるかもしれないがそれは難しいと思う。 例えば、わたしにはなにもできない。 わたしが家族だからだ。 家族は自分の心配をしてくれるから、自分も家族のことを心配できる。 それは彼には既にある。 でも、なにもかも人から教わらないと育つ感情ばかりではないことも、わたしは見てきた。 恋する心は自然に育っていく。 高等養護時代、クラスのゆきちゃんは桂くんが好きで、かっこいい!を連呼していたし、ダウンの谷くんはわたしのことが好きで、会えば必ず自己紹介をしていた。 そして、じゅんも。 中学時代の担任の先生に恋して、先生にプレゼントを贈りたいし、ご飯をごちそうしたいと言う。 相手をステキだと思う恋の気持ち。 相手に自分を知ってもらいたいと思う恋の気持ち。 そして、相手に喜んでもらいたいと思う恋の気持ち。 誰かこの子達に恋をしたか? わたしがあれこれ口を出しても仕方ない状況なら、恋の気持ちが育つように、いつかはわかってくれると信じるしかない。 |
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